スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | 【--------(--) --:--:--】 | Trackback(-) | Comments(-) | [編集]

恩田陸 小説以外(再読)



【超好き】

恩田さんの第2弾エッセイ『土曜日は灰色の馬』を読み、前作のエッセイをもう一度読みかえしたいと思いたって文庫版を購入。

初めてこの本を読んだ時よりも楽しんでます。
そして気づいたのが、恩田さんの影響を多分にうけている自分です。
否、恩田さんと感じるポイントがやっぱり同じ・・・・・・とも言える(言いたい!)が、もう既にわからない。


身銭を切って、時間を作って読まないと、面白くないし、つまらない時に怒れないのだ。
私は、どんな本も必ず最後まで読み通す主義なので、つまらない本というものに対して激しい憎悪を感じる。一生許さない。孫の代まで祟ってやろうと思う。



つまらない本はすぐに保留(もしくはポイ)にする私にそこまで思う権利はないかもしれないが、この気持ちがとてもよくわかる。
ケチくさいが、本の値段が高ければ高いほど長編であればあるほどその恨みたるや凄まじい。
本だけではなく、映画館でつまらない映画を見たときが一番著しい。
ひとりで見た時ならばまだいいが、誰かを誘ったときは、相手の時間・金を自分が殺したような気持ちを味わいます。
と、このようにわたしが語ると怨念こもる恨み言になるのですが、恩田さんの文章はクスリと笑ってしまう可愛げ(わたしが言うと失礼になりますが)があって、さすがだなあと羨ましくなります。


私は、小説には贅沢感を求める。研ぎ澄まされたシンプルな小説もいいけれど、饒舌でぎっしり余計なものが詰まっている方が贅沢な感じがして嬉しい。


確かに、恩田さんの小説を読むと、贅沢な感じがします。
饒舌であるほどに世界が身体のすみずみまで浸透するような気持ちになります。
恩田さん自身、そういう小説を好んでいるからなのだなあ。


一人でいる時は二人でいるつもりで、二人でいる時は一人でいるつもりで


ある心理学の本の中で恩田さんが気に入っている文章だそうです。
なるほど、と思いましたが、多分この心理学者や恩田さんと解釈が違うかもしれない。
わたしは、一人でいる時に誰も見ていないからと怠惰になりすぎないように、二人でいる時は自分を殺して相手に依存しすぎぬよう自分の意見を持つように、と。
この言葉は、その時々で意味を変えて心につきささるようになるだろう。
覚えとこっと。


『ファンタジーの結末』で恩田さんが抜粋してある浦沢直樹さんのマンガ「パイナップルアーミー」のセリフ、

いったん戦場で自分を見つけてしまった者は、もうそこから逃れることはできない。生涯自分のための戦場を求めるようになってしまう

ハート・ロッカーを思い出した。
でででも、あまりこういうことを考えないようにしよう。
ファンタジーのラストが単純に楽しめなくなってしまう。


『善と悪の昼と夜』では、東野圭吾さんの『白夜行』について語られていた。
東野圭吾さん、たくさんの方におすすめしていただいたけど苦手でした。
申し訳ないです。
謎解き重視の感情がない小説のようで、読み切れなかったのです。
思えば、わたしはミステリーを読むのは謎解きなどは二の次で、犯罪に至るまでの感情、そしてそれを解き明かすコンビの関係が重要なのです。
東野さんの小説は「登場人物がチェスのコマのようだ」と評されているらしく、とても納得しました。
きっともう読まないだろう、と思っていたのですが、恩田さんのこの章を読んだらまた読みたくなってきた。
東野さんが無意識に心理描写をとばしていると思っていたから、憤りを感じたんだろう。
それがあえての「縛り」であるなら、逆に読んでみたい。
きっと次は、他の視点から読めるような気がします。
どこまでも感情を重視する自分がウェットすぎて嫌になります。



相変わらず『週末の風景』が好きです。
なんでかなあ、どうして好きかなあ、と考えてみたけど、これを読むと日常が輝きだすんだよね。
ちょっとした愚痴、ちょっとした習慣、そしてちょっとした特別。
こんなんだけどわりと悪くないかんじで生きてまーす、という軽さがいい。

『三月の深き紅の淵を』は、今までその本に出てくる本を読んでから読むものだと思いこんでたけど、実は逆で、『三月の・・・・・・』は、それらの予告編のようなものでした。
中途半端に『麦の海・・・・・・』を読んでいたから、頭がこんがらがっちゃってた(脳の処理機能が低いのでよくある)
その誤解から、あえて積読にしてたけど、寝かせる必要なかったね。
読んじゃおうっと。

『記憶の図書館』はいいなあと思う。
わたしも、やりたい!
けどきっと読んだことすら思い出したくない本があったりして、赤面するばかりなんだろう。

『週末のFAX』は最後の追記で大笑いしました。
こう言っちゃ失礼かもしれないけど、恩田さんかわいい!
小さい子がむっとするような表情をついついイメージしてしまいます。

『果時以に送る手紙』は、とてもとても感じ入りました。
こういう手紙形式の短文に弱いのです。
それが、少しの奇跡がプラスされていたら、もうなんか感動してしまう。
手紙って、一番感動できる文章ではないですか。
わたしの気持ちをあなたに伝えたい、その一心で書かれた文章ではないですか。
「伝えたい」という気持ちだけで、泣けてしまうのは年をとったせいでしょうか。

『私の青春の一冊』の、恩田さんの不思議な週末・幸せな読書時間は、わたしも分かります!
わたしは、学生時代の夏の夕暮れ、扇風機一つのベッドの上で『姑獲鳥の夏』を読んだ時のようなものかな。

『架空長編アンソロジー』は、こういうの考えている時は一番楽しいよね。
わたしもよく想像します。
オリジナルCDを作るリストを考えてる時とか。

『タイトルの付け方』は、なるほどと思いました。
確かに、ただ英語の音をカタカナになおしただけの題名って、心躍らない。
タイトルだけに絞ってみるのも楽しいものだなあと思いました。


もう抜粋した以上に、ほとんどが面白くて真似したいやってみたいと思えるようなことばかりでした。
ラジオの深夜放送を聞きながら勉強とか、音読して読むとか。
そして、このエッセイを読んでると、猛烈に本が読みたくなる。
エッセイを読んでる途中でいてもたってもいられなくなり、それを放り出して小説をあさり出したり。

これは、保存版です!



スポンサーサイト
一般小説 ア行  恩田陸 | 【2010-11-27(Sat) 01:10:55】 | Trackback:(0) | Comments:(0) | [編集]

恩田陸 土曜日は灰色の馬

土曜日は灰色の馬土曜日は灰色の馬
(2010/08/07)
恩田 陸

商品詳細を見る

【好き】

最初の2、3ページを読みゾクゾクするような面白さを感じて、思わず本を閉じた。

本、マンガ、映画とそれぞれの作品について綴られていたけれど、ほとんどわからなかった。

同じ話を連続ドラマ化するのと、映画化するのとでは、観客に対する戦略が全然違う。

五十分ドラマを四回だったら、毎回それぞれ起承転結があって、導入部のつかみ、後半の見せ場、更に次回への期待を持たせるラストを持ってこなければならない。


その通りですよね、恩田先生!!
と手を強く握りながら賛同させていただきたい。
「引き」は大事なんですよーお!!
1度雑誌を買ってしまったら、どこで止めればいいのかわからず買い続ける運命になる。
というのが過言ではないほど、「引き」に振りまわされてました。

そして、なるほど!とヒザを打ったのは、

『愛と誠』はほとんど「引き」だけの話だったのだ。

のところ。
高口里純さんのマンガってまさしくそれなのかもしれない。
毎回毎回すんごく面白く毎回毎回すんごく次が気になり毎回毎回鼻息荒くして一番に読むのが高口里純さんのマンガ。
だけど、どんなストーリーでどこが面白いかを書こうとすると、いまいち説明することができない。
そういうことだったのか、と腑に落ちた。

映画の項目でも、

日本映画の暗がりは「明かりのついていないところ」であって、空っぽで、無人だ。

の言葉に納得させられる。

恩田さんのエッセイを読むと、私だけじゃないんだ、と安心することがある。
本や映画を見て感じることに、考えすぎかな、深読みしすぎかな、と自分の天の邪鬼で疑心暗鬼な部分に嫌気と孤独を感じることがある。
それを上手に伝えたり、共有することができないのが、なおさら歯がゆい。
だから、もっと単純に楽しめるひとでありたい、とよく思う。
でも、恩田さんのエッセイを読むと、考えていいんだ、と慰められる気がする。

その共感と同じくらい、耳(目)が痛い文章にも合う。
「一人称」の部分などは、私が一人称が好きなのでハッとさせられる。

だからといって「共感」がほんとうに「理解」とイコールなのか、共感できない「私のこと」を分かってくれていないのかという、根本的な問題に気づきにくくなっているのである。

共感には自己愛も含まれるけれど、理解には自分を廃しても得られるのか。
私は自分が大好きだから、「共感」が得られる一人称が好きなんだ。
「わたし」に共感し愛し愛されることで、自分が許されるような愛される存在であるような気持ちになれる。
だから一人称を読んでいて、とても心地が良い。
・・・・・・ということは、まわりまわって本当は私は自分が好きではないのだろうか。
いや、まさか、そんなことはないはず。
まさしく、私は恩田さんが語っているとおり「私が傷つき」「私が癒やされ」ることを優先にして読んでます。
そんな自分が、とてもワガママで子どもじみた幼い心と思考の持ち主であることを自覚させられ、いたたまれなくなる。
とはいえ、それをどうこうしようという気持ちはないが。

「お話の神様」の話も、一人称うんぬんと同じことであり。
そうそう、話は脱線するが、私は三人称が苦手な理由がひとつある。
地文の時に、突如として作家の声(ナレーション)が聞こえることがあるのだ。
なんだこの予定調和な展開は。
ストーリーを操作している気配を感じ冷めた気持ちにふとおちいることがある。
一部の三人称小説だと思うが、一気に物語から現実に戻される。
これは、どういったわけなんでしょう。
ぜひ、恩田さんに分析してもらいたい。
私、恩田さんになら、どんなに説教されても分析されても受けいれられる気がするわ。

お話の神様は、私もいると思います。
でも、絶対に姿を現しちゃいけない存在だと思う。
神様が見えたら、幻滅するでしょ。



このエッセイ、大好きです。





一般小説 ア行  恩田陸 | 【2010-11-19(Fri) 17:24:42】 | Trackback:(0) | Comments:(0) | [編集]

小説以外 恩田陸

小説以外 小説以外
恩田 陸 (2005/04/27)
新潮社

この商品の詳細を見る

★10/10

恩田さんっていいなあ……。
このエッセイを読みながら、ふと思った言葉です。
まず『小説以外』っていうタイトルからして、「恩田さんっていいなあ」と思ってしまうのです。
かっこいい。
こざっぱりとしていて、嫌味がない。
だからといってあっさりした内容かといえば、全くそんなことはなくて、恩田ワールドが濃度そのままに思う存分読めるという贅沢さ。
こりゃ、たまりませんな。
恩田作品は少し離れていたのですが、このエッセイを期に舞い戻ってしまおうと思ってます。
実は、恩田作品の中でも少年が描かれているものが好きなのよね。
だから、少年を描いていない作品は手にとってなくて、そのせいもあって離れていたわけだけど。
恩田氏の言葉によると、高校物しか描かない作家のイメージがつくのが怖かったそうです。
でも、色々な作品を書いてきた恩田さんだからこそ「夜のピクニック」が書けたのだとあると、こりゃ初期の恩田作品しか知らない私としては俄然「夜のピクニック」が読みたくなったのでした。
いや、過去形じゃなくて、読みたいのです。
あ、これはエッセイの感想じゃなくて、恩田さんの感想になってるじゃないの。
いいのか、恩田エッセイだし。
『週末の風景』が好きです。
思いっきり日記っぽいんですが、こういうテンポのいい文章が書けるのって憧れです。
他にも、共感できる部分が多くあって、恐れ多くも「わたしっぽい」と思ってしまった。
いやいやいや、剃刀とか回し蹴りとかいりませんから。
思うだけはただってね。あ、ブログで書いちゃいましたが。
もちろん経歴も家族構成も何もかも違うんですが(ビールは好きじゃないし)、なんとなく好きなものが似てる気がする、と。
まあ、好きな作家さんと共通点を見つけたくなるのは、なにも私だけじゃあるまいて。
「『ネバーランド』ドラマ化に寄せて」の部分も好きです。
私は中学校は大嫌いで高校は大好きでしたが、そうではなくて。追記の部分がすっと胸がすく思いなのです。
恩田さんのツッコミが!
もう消してしまったのが悔やまれる、ドラマ「ネバーランド」で書いた感想に「原作は真冬が舞台だったのに真夏なのはどう考えてもおかしい」と書いたんですが、恩田さんが同じツッコミをしてくれていて嬉しかった。
いや、私のように強い感じではなかったんですが。
ただ、個人的に一番気になる部分だったのです。
私は作品の季節感をかなり気にするのですよね。
同じ教室だとしても、冬に感じる教室と夏に感じる教室は全く別物であると思っていて、その季節感がストーリー全体のトーンを少なからずとも決定しているような気さえするのです。
同じように、夜・朝・昼・夕方とかでも変わってくると思うんですが。
だから、季節を書いてない小説は随分と印象が薄かったりして、もしくは読んだその時に感じる気温によって小説のイメージが変化したりします。
で、恩田氏が「ネバーランド」は「トーマの心臓」をオマージュしたと聞いて、なるほどと思ったんです。
「トーマの心臓」も「ネバーランド」も冬なので、感じ方が近いんです。ネバーランドの方がさらっとしてましたが。
おなじく「トーマの心臓」のオマージュとして作られた映画「1999年の夏休み」は、夏設定なのよね。
だから同じオマージュとはいえ、私の中では「1999年の夏休み」は全く別の感じ方をするのです。
もうここらへんになると、理論的ではなく肌で感じるとかいう抽象的な言葉でしか言えないんですが。
というか、もともと理論的には分析できないんですが……。
でも「1999年の夏休み」はオマージュだからいいんです。新たなものとして確立しているから。
だけど、ドラマ「ネバーランド」はしっかりと原作があるわけじゃないですか。
題名をそのままつけるほどの責任を負っているわけじゃないですか。
それを、ここまで改ざんされちゃうと、すでに「ネバーランド」じゃないんじゃないかしら、と。
個人的な感覚としては「ネバーランド」よりも「1999年の夏休み」の方が近く感じた作品でした。
というのをここで語っても仕方ないんですが、思い出してしまったので。
まだ根に持ってるんです、実は(笑)
私は蠍座だから執念深いんです、ええ(世の蠍座さん、ごめんなさい)
今、もう一度焼きなおしてくれないかしら。
まあ、私の中には登場人物像というのはしっかりと刻み込まれちゃいるんだけど、今の邦画の感じなら見てみたいなあと思います。
っていうか、エッセイの感想に全くなってませんがな。
ネバーランドに対しての恩田さんの他のツッコミも面白くて他にも「男子だけの話になぜこんなに女子が出てくるんだ」とかね。
「高島礼子だったらいいじゃないか」という最後のツッコミに、恩田さんのおちゃめさを感じます。
あ、恩田さんは、私のようにぶちぶちと言ってるわけじゃなくて、軽い感じでながしています。
そんな恩田さんも「いいなあ」と思うのです。
これ、文庫化希望。
暇があれば読み返したいエッセイかもしれません。



一般小説 ア行  恩田陸 | 【2007-05-02(Wed) 00:42:18】 | Trackback:(0) | Comments:(0) | [編集]

Copyright © 11月の読書家 All Rights Reserved. Powered By FC2. 
skin:*cuteblog*   
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。